初日観劇レビュー

今回は公募により、4名が決定しました!

初日観劇レポーターの方々をご紹介します。

河合厚志 さん

プロフィール

1990年3月29日生まれ。大谷大学短期学部卒。現在はフリーの役者として活動中。第24次笑の内閣「日・韓・米・春のツレウヨ祭り・アメリカ編」、N²「blue/amber」に出演。虹色結社「ニッポン・ウォーズ」10月28・29・30日出演予定。

コメント

学生演劇祭は過去に二度、観に来たことがあります。どちらもひとつの劇団を目当てに来ていたのですが、同ブロックで観ることができるふたつの作品についても、なにか思わずにはいられませんでした。みなさんが目当てにしている作品に、私がなにを思うのか、勝手ながら文章にいたします。もう観た人、これから観る人に考えるきっかけをつくることができれば幸いです。



レビュー
まず、私のような者に意見を表明する場を与えてくださったことに感謝します。

そして、今これを読んでいただいている皆様にも先に感謝させていただきます。


Aブロック

くろずこんび・T

 学生演劇祭2017の開幕を飾るという気合に満ち溢れていました。数々の小ネタや学生演劇あるあるなど、学生演劇祭にふさわしい作品だと思います。

 僕も学生時代にやらかしたいろんなことを思い出しましたし、現実はもっと生臭いものでしたが、そういうことも茶化して前に進もうという気概を感じました。


劇団ACT 

 ある生き物の立場にたって、人間の残虐性を問うた衝撃の作品です。学生諸氏はこの作品を自分の立場に置き換えてよく研究してほしいと思います。

 Aブロック中では、最もセリフがよく聞こえましたし、演技も大きくわかりやすかったです。笑えるネタもあり、僕個人としてはAブロックではそこが唯一笑えました。


LPOCH 

 学生演劇の教科書的作品だと思いました。テーマが身近で、メッセージがしっかりと伝わってきました。Aブロックではもっとも大好きな作品です。

 主人公が悩み、苦しんできたことが、同級生のたったひと言で救われる。王道を行くからこそ、その道を通ったメッセージを大事にしていると感じました。また、べつの作品も見てみたいです。


Bブロック

劇団抜きにくい釘

 わかりやすい脚本、構成、演出は介護施設レクリエーションで培われたものでしょう。多くの道具を使った演出、上演後のちらかった舞台をぜひ近くで観てもらいたいと思います。

 全体に詰めが甘く、気になることもたくさんありましたが、やりたいことは問題なく伝わり、最後にはちょっと感動もしました。


ヲサガリ

 学生演劇らしからぬ経験値の高さを見せつけられた、という感じです。好きなものを好きでいつづけること、そのために単位を犠牲にしてしまうこと。多くの学生の共感を得られる普遍的なテーマだと思います。

 Bブロックは、これを観るためだけでも来る価値があると思います。初日はほぼ満席だったので、24日以降観に来られる方は早くチケットを入手した方がいいと思います。


 後付け

 ショートコント集。これこそが京都の笑いだと思います。ツッコミ不在。

 観劇中、あいた口がふさがりませんでした。おそらく、口開けてないで素直に笑えばよかったんだと思います。いきなりはじまるので、乗り遅れないよう前のめりでご覧下さい。

ジョルジュ・ポンピドゥ さん

プロフィール

生まれも育ちも日本人。2015年に「劇団二色」として、2016年に「ソリューションにQ」を主宰して、京都学生演劇祭に二度出場。その後は演劇へのモチベーションを維持しつつ、元気にやっている。

コメント

僕は好き・嫌いで評価するタイプなので、レポートは「こういう人もいるんだぁ」程度に思って頂ければ、何書いても許される気がして僕が安心します。単純な観客としては初めてのKSTF、楽しんで参りたいと思います。


Aブロック

くろずこんび・T

 学生劇団および学生演劇人「あるある」を戯曲の体裁に整えて舞台にした、みたいな内容だったと思います。しかし、脚本・演出・役者の面において、優れているとは感じにくいところがありました。

 小説なり映画なり、何かしらの芸術形態をテーマにした作品が、観る側がその道の経験者か・未経験者かによって評価が大きく変わるものであることは、言うも愚かなことです。そして、経験者の共感を得ることはとても容易い。目指すべきは未経験者の心にこそ訴えかける作品だと考えますが、この作品に未経験者までをも取り込む求心力が備わっていたかというと、甚だ疑問です。抜き釘さんのような飽きさせない演出上の工夫も無いものですから、仕方なく脚本と向き合うのですが、そう言えば演劇未経験者の目にはこの話はどう映っているんだろうと考えた時、「演劇人とは自己顕示欲・承認欲求オバケの末路であり、演劇ってツイッターの下位互換的存在なんだな」というだけの感想に終わっていても仕方がないのではないか、と思えてきて、観劇中気が気じゃありませんでした。尤も僕がこう思うのは僕の性格が終わってるせいかも知れませんし、案外良心的な楽しみ方をされている可能性もありますが。

 ちなみに、「演劇人、欲求オバケ説」、否定はしません。


 劇団ACT

(※ 注意:物語上のネタバレになる可能性のある箇所あり ※)

 こういう、人間が普段自覚もなく行なっている差別というものを題材にした作品が辿る結末は、大きく分けて2パターンあると思います。人間が許されるか、許されないかです。もちろん、許しも糾弾もせずあるがまま観客に考えさせたり、そもそもそんなことには焦点を当てず、娯楽作品としてまとめるものもありますが。僕はこの作品のことを、そういう路線では勝負しない娯楽タイプの作品なのだと思いながら観ていたのですが、最終的には二大パターンに落ち着いてくれたので、そういう作品が好きな僕としては嬉しかったです。やっぱりありますよね、そういう不信感、という話を脚本家さんと延々したい、そこはそれほど大きくウエイトを占めていないのかもしれませんが。役者さんも好演でした。本日拝見した中では比較的安定した、一つの基準になる作品だったのかなぁと思います。


※初日観劇レポーター決定後、ジョルジュ・ポンピドゥさんのLPOCH への参加が決まったためレビューはございません。


Bブロック

劇団抜きにくい釘

 観客を飽きさせない演出が志されていると感じました。時空間をダイナミックに拡張する音響と照明。開幕からの数分間は「このままこのシーンが15分くらい続いてもいいな」と思わされるほどの心地よい時間でした。役者さんの聞き取りやすい発声も、この作品を勢い付けていたと思います。中盤にその疾走感に飽きが訪れるタイミングがありましたが、そこを回避する工夫もあり、目立った失速もなく完走できていたと思います。祭りの名に相応しい作品でした。

 ただ、過剰演出というか、演出と脚本のどちらに注目すればいいのか迷ってしまう場面が何度かありました。それが脚本上重要な(知っておかなければ話がわからなくなる)場面だったりしたものですから、僕は演出を選び、結局なんでそうなったのかよくわかんないままカーテンコールに拍手したのですが、まぁ別に良かったかなって思っています。たぶん、フツウの脚本でした。


 ヲサガリ

 おそらくヲサガリさんの関係者の知り合いと思しき方が数名、客席にいらっしゃったのですが、その方々が特段声をあげて笑うほどでもないギャグシーンで幾度か大笑いされていたところに、この作品の悪いところが集約されていると思いました。タイトル通り「ヲサガリの」卒業制作であり、「私たちの(観客の)」卒業制作ではありませんでした。ラストシーンでは「大人にとっての卒業とは」という一般的なテーマへ昇華させんとする瞬間が見られ、そこが良い部分だと思いましたが、いかんせん大半がヲサガリさんに割かれているため時間が足りません。これは持論ですが、他人になにか物事を伝えたり、共感させたいときは、別の物事を介す必要があると思っています。昔の人は教訓などを寓話という形式で後世へ語り継ぎました。自分たちの悩みを「僕たちはこんなに悩んでるんだ!」とそのまま言葉にしたって、特別な愛でも無い限り「知らんがな」止まりな可能性が高いです。観る側は身につまされる思いをしたい傾向にあると思うので、自分たちの、という具体的な話よりは、抽象的な、誰でも代入されうる形式のほうが話に入り易い、と思います。「ヲサガリの」と付けたり、役名を役者の名前と同じにしたりしなければ、僕も自分の将来に待ち受ける人生の分水嶺に思いを馳せることができたかもしれません。それでも「ヲサガリの」と付けることに意味があるのだとおっしゃるのであれば、その意志は尊重されるべきだとは思いますが、僕はべつにヲサガリさん自体に興味はないので、一緒に盛り上がれなくてすみません。

 とは言え、飛び道具的なパフォーマンスも手伝って、カリスマ的な魅力で客席を味方に付け、雰囲気を自団体色に染めることに成功していたところはすごいと思いました。

 どうでもいいですが、僕は「一人の女の子である前にアイドルである」派です。


後付け

 二つ目の短編くらいから、「この作品はフィーリングで読み取りたい」と直感し、そっとメモ帳を閉じました。

 論理があるところに、それをややこしくこねくり回してみたり、非論理的なものを投げつけて壊してみたりと、論理がいろんな方向に転がされたり蹴っ飛ばされたりしている様がおもしろく、秀逸な不条理コメディがそこにありました。欲を言えば、同じパターンで笑わせる作品がいくつか見られたので、時間もおそらく余ったでしょうから、別なパターンのものをもう2〜3作品観てみたかったですね(もっと観ていたかっただけ)。


Cブロック

劇団なかゆび

 正直、この作品について、こういった場で多くを語りたくありません。サボっているわけではなく、真剣に。その性質上、とりわけ脚本的な意味で、劇場へ足を運び、客席に座って観ることで、初めて本質的に価値を持つ作品だと思います。優れた作品だと思いました。


劇団明日の鳥

 これ書いた人ぜったい女性だろうなぁなんて思いながら観ていたら男性らしくてびっくりしました。逃げ恥とかに超ハマってそう。ただ僕は、痴情のもつれとかいうものに呆れるほど興味がないので、本当にどうでもよかったです。しかし、左斜め前方に座っていらしたおじ様はいい表情をしていました。ラストシーンでは何度も首を縦に振っておられて、きっとなにか思うところがあったのでしょう、人生を感じましたね。こういう賞レースなどでは暗転の多い作品はとりあえず酷評されるみたいなので、気をつけた方がよいです。


劇団蒲団座

 失うものが何も無い人のある種の無謀さとは、時に最も厄介なものです。しかし、まだ蒲団座さんには何か、失うものがある(という自負がある)ように感じました。「本番5日前に台本を変えざるをえなくなった」という事情は十分に免罪符足りうるものだと思うので、もっともっと吹っ切れても良かったと思います。他人事ですみません。とは言え、おもしろいものを観させて頂きました。

 今演劇祭以降の再現性が全くありませんので、逆に一見の価値ありです。


Dブロック

劇団西一風

 昨年の西一風さんのような完全なシュールコメディでもなく、平田オリザ的な「静かな演劇」とも言い切れなかったこの作品を、どのように評価すればいいものかと悩みながら終演を迎えました。しかしどうやら、一緒に観ていた友人の感想を参考にすると、感覚としては推理ものに近かったらしいことが分かりました。観終わったあとに感想を言い合ったりすると、きっと楽しいです。ただし、不眠症でお困りでない限りは、体力的に余裕のある状態で観劇されることをお勧めします。あと、後ろの方とかほぼ台詞が聞こえないと思います。できるだけ前の席を目指しましょう。


劇団洗濯氣

 全体的にバランスのとれたストーリーものでした。敷居が低く、誰でも入り込みやすくつくられていると思います。ただ僕は、もっとハッとさせられるような、新しい価値観を吹き込んでくれるような作品が好きです。核に据えられた主張が陳腐に感じられてしまい、お話を心から楽しむことができませんでした。それは多分、どこかから借りてきた価値観でつくられているからではないかと思います。脚本家さんの、もっと本性のところを囓りたいです。

山田テノヒラ さん

プロフィール

小学生から演劇が好きで、様々な舞台を見たり、実際に舞台で演技をした経験がある。今は、趣味で舞台脚本を書いている。

コメント

演劇大好きで、舞台全般を勉強中です。参加される劇団の皆様から多くのことを学びたいと考えています。そして、演劇に携わる学生の皆様の力添えになれたら、と思っています。応援しています!

Aブロック

くろずこんび・T

 劇を制作する大学生の青年の苦悩を描いた物語だった。舞台を作る側になったことがある人なら、共感する場面が多かった。主人公に主軸を置いて、同じ劇団の部員たちとの掛け合いをコミカルに描いていた。劇を構成する脚本、演出の難しさ、面白さが伝わってきた。


劇団ACT

 ゴキブリと人間の関係性に言及した物語だった。音響、照明の効果を上手く使って、ゴキブリたちの気持ちや状況を上手く表現していた。ゴキブリたち一匹、一匹の個性がとても豊かで、見ていて「どんなふうに行動するのだろう」とわくわくした。


LPOCH

 教師の主人公が、過去の辛い経験や自分自身と向き合いながら、成長する物語だった。主人公の心の声が人の形になり、演じられていた。それにより、気持ちが立体的に観客に伝わってきた。また、劇中にダンスがあり、それによって言葉にならない激しい気持ちが表現されていた。


Bブロック

劇団抜きにくい釘

 寝屋川の古くから伝わる民話を元に、鉢かづき姫の生涯を描いた物語だった。川や観音様など背景描写がキャストによって丁寧に描かれていた。また、カラオケを使う場面があったり、踊りを全員で踊る場面があるといった演出もよく考えられていて、見ていて飽きなかった。


ヲサガリ

 ダメダメでアイドルオタクの主人公が、気に入ったアイドルが卒業してしまうことを知る。そして、アイドルについて考え仲間たちと結束し、行動を起こす物語だった。日本のサブカルチャーをテーマにしているのがとても良いと思った。そのテーマに沿うように、J-POPやオタ芸が劇に盛り込まれていた。音響の歌と、主人公たちの気持ちがリンクしていた。また、劇の途中にオタ芸とジャグリングが合わさった芸があり、観客を沸かせていた。


後付け

 男女三人の短編劇だった。音響と役者のコンビネーションが織りなすテンポの良い劇だった。シュールに人間の喜怒哀楽を描いた作品だった。一つ一つが哲学的であり自然と引き込まれてしまう世界観が作り込まれていた。


Cブロック

※都合により、劇団なかゆびのレポートはございません。



劇団明日の鳥

 若い男女の恋愛を描いた物語だった。LINEのやり取りをプロジェクターで写していた。それにより、「本当の気持ちはどこにあるの?」と想像を掻き立てる演出となっていた。他にも、恋愛を応援する仲間たちの行動に、ドキドキさせられ、最後には感動させられた。


劇団蒲団座

 いくつかの短編で構成された劇だった。二人の役者が舞台を駆け回り、全身で演じていた。哀愁漂う話や、不可思議な少し怖い話など、独特な世界観で表現されていた。


Dブロック

劇団西一風

 三人の男性に起こる奇妙なことを描いた物語だった。三人の奇妙な会話と格好に引き込まれた。登場人物達の作り出すマイペースでシュールな世界観は、先が読めず、 「今度はどんなことが起こるのか」と目が離せなかった。


劇団洗濯氣

 一人の少女と少女が出会った人々との交流の物語だった。人間の温かい気持ちと残虐な気持ちの両面を見事に描いていた。神様と少女のやり取りの中では、「人間とはどうゆうものか」という深く難しい問題を考えさせられた。

近衛虚作 さん

プロフィール

脚本家・演出家。学生寮で寮生を組織して芝居をしたり、岩手県の山のなかで全国から集ってきた学生と地元の人を組織して芝居をしたり、もっと普通っぽい芝居もしたり。京都学生演劇祭には学部9、10年目に参加。

コメント

うっとうしい演劇おじさんとして、10歳ぐらい年下の芝居を見て、あーだこーだ文句を垂れたい。よさそうな役者がいればスカウトしたい。面白いものが見れればほめたい。そんなことを考えています。楽しめたらいいな。

総評
 芝居って何のためにやるかって、自分のためにやってるわけであって、自主的な表現である以上、人の意見なんか耳を貸す必要はないという考え方は、僕はアリだと思ってます。書き終わった文章を読んでみて、結構けちょんけちょんに言ってて、僕が学生のときにこんな感じで文章書かれたら、絶対に書いた人間のこと殺したいと思うだろうなと思いましたが、批評じゃなくて感想なんで、思ったことそのまま書いたほうが、ムカつかれることも含め、何かの足しになることもあるだろうと考えて、だいたいはそのまま書きました。

 ちなみに僕の好みは基本的には会話劇なんだけど、日常会話をそのまま舞台の上に上げたって、そんなもんおもんないと思ってる。


 削るべきところを削り、強調すべきところを強調して、「俺には世界がこう見えとるんじゃ」と主張するのが演出なのではないかと。


 あと、悲劇は好きでない。何らかの希望が見いだせなきゃ、いろいろ保たないじゃん。ただ、「それって何の解決にもなってないよね」系エンドは好きではある。それでも解決に向かう意思があれば、事態が好転することだってあるだろう。


 最初に好みを書いたのは、そういうのが好きなやつの考えてることってことで、そんな方向性目指してねえよっていうのなら、指摘も感想も一瞥にも値しないかもしんないので、一応ね。


 と、ここまでは2015年に観劇レポーターをさせてもらったときの前書きをそのまま引用。以下からが新鮮な文章です。


 あ。ちょっと宣伝みたいになっちゃいますが、私が主宰してる喀血劇場も2012年、13年と京都学生演劇祭に参加しました。(そのとき私は学部9回生、10回生だったんですが。だからオサガリの「6回生になっちゃった」みたいなネタは重さが足りない。)そのときの映像、丸々YouTubeにアップしてあるんで、ぜひ見てみてください。この文章で私が何を言わんとしてるか、よりわかってもらえると思います。


2012年 喀血劇場第五幕『千和、立ったまま眠っている』

https://www.youtube.com/watch?v=cd9GGiVJCn4


2013年 喀血劇場第七幕『わっしょい! 南やばしろ町男根祭り』

https://www.youtube.com/watch?v=tP66HuhIDpo


 さて、縁あって、京都の中学生演劇の大会でこれまで2回、審査員をした。2回とも「みんなに考えてほしい」言ったことがある。


・芝居の導入について

・暗転は本当に必要か

・その脚本をやるのはなぜか

・舞台は奥行きがある


 それぞれ中学生の傾向と合わせて説明すると、

・芝居の導入について

 冒頭、セリフのみで、曲をかけたりせずに始まる芝居が多い。始まる前に曲をかけてあおったりもしない。客に「お、始まるぞ」とか「なんだなんだ、何か面白そうなことが始まりそうだ」とか思ってもらったほうが、没入感は上がると思うんですよ。


・暗転は本当に必要か?

 中学生はとにかく暗転する。30回の芝居で10回ぐらい普通に暗転する。「場面転換のときは暗転するものだ」って思い込んでない? 暗転して場面転換って本当に効果的なんだろうか。暗転せずにシーンをつなげたり、少し見える状態で転換してもいいんじゃないのかな。


・その脚本をやるのはなぜか

「はりこのトラの穴」という脚本公開サイトがあって、中学生はそこから部員の数に合わせるように脚本を選ぶことが多い。「その脚本をやる意味はなんなのか」「その脚本をあなたたちがやる意味はなんなのか」「その脚本をやることで、あなたたちは何を伝えたいのか」ということをちゃんと考えて脚本を選んでほしい。


・舞台は奥行きがある

 上下方向にしか舞台を使えていない学校がほとんど。昔の「マリオ」みたいな感じになりがち。横スクロールゲームですね。


 さて、中学生に言ったことを、なんで初日観劇レポートでわざわざ書いたかって、同じことを言いたい場面が何度かあったから。


 特に芝居の導入についてなんて、すぐにでもどうにかできると思う。さっき挙げた『千和、立ったまま眠っている』も『わっしょい! 南やばしろ町男根祭り』も、本番キューが出たのはYouTubeの映像でいうと、1分経過したぐらいだったはず。つまり、転換時間に芝居の導入もしてる。『わっしょい! 南やばしろ町男根祭り』のほうは、ふんどし一丁の男が一定のリズムで大太鼓を叩くだけだったけど、『千和、立ったまま眠っている』のほうなんて、アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』で話題になったエンディングのダンスとか踊ってるしね。なんでって、ハルヒのダンス踊るとか、大学生っぽいじゃん。大学生の時点から物語がスタートするんだから、芝居のストーリー的な導入としてもそんなにはずれてないし、踊っときゃあ客も温まるだろうという考えゆえ。


 ……もしかするとレギュレーションが改訂されていたりするのかもしれませんがね。


 とまあ、宣伝混じりの文章はこのぐらいにして、以下、ネタバレにならない程度の感想を先に書いて、その後、グチグチ文句を垂れたりします。全部初回の上演を見ての感想であり、わざわざ2回目以降で改善を望みますとか書かないし、逆に2回目以降は改善されるだろうなと想像できるところもそのまま書いてます。


(追記)
 団体によって、セリフが聞こえる聞こえないの差が激しかったし、同じ団体内でも結構差のあるところもあった。
 
 正直、聞き取れないセリフに意味はないし、セリフを客の耳まで届かせられない役者に存在意義はない。
 
 大きな声を出せるようにするか、より聞き取りやすい声質になるか、頭や道具を使って、そのままの声量・声質でも聞こえるようにするか。どんな方法でもいいけど、解決してほしい。
 
 吉田寮食堂の環境は一般的な劇場とは違うけど、それにしても「聞こえねえな」と思う瞬間が多くて、嫌になった。
 
 小さい声での感情表現なんて楽ちんですよ。だって、普段やってるんだもん、そんなこと。普段よりも広範囲に届けられるような声で感情表現をやるから、演技は難しいの。
 
 あと、ダンス的なものがちらほら見られたけど、本職のダンサーじゃなくて、役者がダンスをやる意味とはなんだろうか。私は明らかに下手なダンスでも、演劇な意味を乗っけることはいくらでもできると思ってる。とりあえずはダンスしとかなあかんやろ的なものであれば唾棄すべき思考。

Aブロック

くろずこんび・T

 脚本の改訂あり、役者入れ替えありの再演。初演と比べて見劣りする。セリフが客席奥まで伝わっていないなど、基礎の部分でかなり難がある。役者がイキイキしてないので、キャラがイキイキしてこない。


劇団ACT

 声は出ていた。比較的自由に動けている感じもある。設定も一番根幹の部分はいい。でも、その上に乗ってるキャラと心情に無理がある。キャラが立っていたのはいい部分でもあるし、場面ひとつを切り取ると面白みがあるんだけど、見終わると脚本の流れに疑問を持ってしまった。


LPOCH

 真面目にキャラの心情に向き合ってる感じは好印象なんだけど、それならそれで徹底するべきだった。途中に看過できないノイズがあった。


Bブロック

劇団抜きにくい釘

 役者が演出に翻弄されてる部分もあるけど、いろんな演出方法を試そうとしてるのはよい。役者の声量と曲の音量のミスマッチがツラい。


ヲサガリ

 最後の最後ちょっと前まではよかった。祝祭感はいいんだけど、モノローグの多用はどうだろう。基本的に私たちは他人の頭のなかを覗けない。


後付け

 大好き。面白い。それだけじゃなく、A・Bブロックのほかの団体と比べたときに、演技の情報量の多さが段違い。大好き。



 以下、詳細に。

くろずこんび・T

 2015年の京都学生演劇祭で未踏座が上演した演目の再演(のようなもの?)。2015年のも私は見ていて、細部は覚えてないけど、大筋は同じだったはず。でも、劣化が目立った。

 まず稽古不足を感じる。セリフのミス、動きのぎこちなさ。それから、モノローグで毎回のようにサス落ちしてた(スポットライトから外れていた)のも、思いっきりブレーキを踏まれたような印象を受ける。

 声量が絶対的に不足してるし、滑舌もよくない。それでも客にセリフを伝えたいなら、しゃべるスピードを落とすしかない。スピードを落とさないなら、技術を向上させるしかない。

 総じて役者に思いっきりが足りない。別に私たちは思いっきりのいい日常ばかりを過ごしてるわけじゃない。だけど、あの脚本とキャラの味付けなら、思いっきりよくやるしかない。

 ゲタがうるさかった。ゲタを履いてないと魅力が減るわけじゃなさそうなので、サンダルにしてはどうだろうか。

 脚本、演出、役者はそれぞれがそれぞれの良さを増幅させたり、減衰させたりするものだと思うけど、私は勝手に負のスパイラルを見てとりました。


劇団ACT

 くろずこんび・Tの後に見たので、申し訳ないが、まず役者の技術力の差に目がいく。声はそれなりに出ているし、体も動いている。だからキャラが伸び伸びしている印象になる。

 ゴキブリという世界観は悪くない。でも、「それ、ゴキブリじゃないとダメなの?」というか、「ゴキブリはそういう発想するの?」という疑問が、終盤に向けて大きくなる。

 登場人物たちのなかで、動機づけが語られるものと語られないものがいる。それ自体はいいんだけど、「人とゴキブリの共生はできないのか」みたいな、「ゴキブリ界でも、明らかに異端やろ、きみ」みたいなキャラが、なぜそう考えるに至ったのかが、私にはまったくわからなかった。

 キャラが立ってて、会話も部分部分では面白いんだけど、それが続いていって、うねりになって最後につながるみたいな脚本になってない。希望を感じさせるような展開からの、全滅エンドなわけだけど、その意表のつき方、私は納得しない。打ち切り最終回みたいだった。

 あと、ラスト、「プシュー」って音がしたあとのセリフ、蛇足ではないか。少なくとも効果的ではない。音がした時点で、もう結末はわかる。客が想像した結末をひっくり返しも、補強もしてないように思う。「ゴキブリだって生き物だ」ってことを45分使って表現できていたなら、要らないセリフだった。

 ネットの普及が人々の分断を促進してるような世の中の情勢、私は本当にいやな気持ちしかしないのだけど、この話もそういう背景から生まれたものなのかな、とも考えた。もしそうなら、あのラストは現実の追認。それで終わっていいんだろうか。別に革命的、革新的な終わり方をしろと言ってるわけじゃないし、追認自体が悪いって言ってるわけじゃないんだけど、心情的にストンと落ちない。その気持ち悪さを狙ったなら正解だったわけだが。

 くろずこんび・Tもだけど、モノローグ中にほかの役者がストップモーションみたいになってるのを見ると、「45分しかないんだから、もっと情報詰め込めるでしょ!」って感じたりもする。

 どうでもいいけど、4匹目のゴキブリの人はローマ時代の彫像みたいな顔してるなって思った。


LPOCH

 私個人としてはトラウマに意識的じゃないし、トラウマがあったとしても向き合いたくない人間なので、キャラの心情が高まる部分とかは苦手だったんだけど、全体を通じて、心理描写に真摯に向き合ってる感じは好印象だった。

 音の選び方がよかったのか、演技・演出がよかったのかわかんないけど、水音が不気味だった。「またかよ、もういいよ」って思ったけど、演出的には超効果的だったってことですよね。

 ただ、冒頭と中盤2ヶ所のメタなセリフ・やり取りが、私としては邪魔にしか感じなかった。同じ人物の内面と外面をきっぱり分けてるからこそ成り立つ芝居なわけで、メタ視点が入ってくると、芝居全体に致命的なダメージなのではないか。そのメタなセリフで笑いを取ろうとしていたなら、なおさら考えが甘い。特に中盤、私は入り込みかけてたのに、「なんなん、いまのおもんないアドリブみたいなの」と一気に引き剥がされた。

 私自身はメタなネタを挟むのが大好きで、自分の芝居では入れまくるけど、それは世界や空気をぶっ壊さないという大前提のもとで、演出にもすごく気を使う。ちょっと安易なんではないか。

 役者は出力というか、熱量は十分だが、それをどう表現するかが、まだ荒削りだなと感じた。大竹しのぶの『売り言葉』とか見たらいいのではないかと思う。


劇団抜きにくい釘

 この芝居、始まった途端に笑っちゃったんだけど、私のかつての演出をもろパクリしてる部分があって、自分で見てて恥ずかしかった。どこがって、名札をぶら下げてるところ。

 念のため言っとくと、怒ってないし、それを俺だけしか考えつかなかったアイデアだとも思わないし、むしろパクりたくなるくらい印象深かっただろー、って今更自慢したいぐらいなんだけど、その生かし具合では元ネタたる私のほうに分が上がるんではないか。

 役者が演じる登場人物がコロコロ変わるから、名札をつけてわかりやすくする、名札をネタのひとつの要素にするという2点においては、抜きにくい釘でもやってたんだけど、私のほうは物語の構造上、名札システムが絶対に必要だった(その理由が客に伝わりきったか微妙なとこだけど)。その「絶対に必要」感は最後まで感じなかった。

 名札のネタにしても、もっと入れられただろう。一言しゃべってめくるのを繰り返したり、「それ、全然要らんやん」みたいな名札を入れたり。

 役者が名札をめくりすぎたり、演技の邪魔になってる瞬間も目についた。めくりすぎた名札を拾ったり、間違ってる名札を隠すような演技をしたりね。そこはもう、役者は開き直るべきだし、演出も開き直れと言うべきだった。想定できすぎる事故だもん。

 名札についてはこのぐらいで。


 照明効果、きれいな瞬間が何度かあった。

 だいたいの役者は声が出てる。でも、音量をちゃんとチェックしたのか怪しいぐらい、曲がかかるとかき消されていた。役者にマイクがついてないんだから、音量はもっとメリハリをつけるべき。曲の出だしでガーンと音量出せば、客に印象づけるには十分だと思うんですよ。あとはグッと音量を落とせばいい。

 鉢をかぶったビジュアルはインパクトあったけど、丹波橋☆あーりんの表情と声に大きな制約をかけるほどの価値があったかというと疑問。たとえば、最初はあの鉢をかぶせといて、「ねー。醜いですねー。でも、演出の都合上、あとはこの透明な鉢でやります」とか、今回の作風であればできる。これもメリハリの問題。

 「継母」はいい意味でめっちゃ腹立った。

 あと、歌うとこ。完全に歌うだけじゃなくて、若干物語が進行してもいたけど、もっともっといろいろとかぶせていっていいんじゃないかと。大竹しのぶじゃないんだから、歌だけで持たせるのはなかなかツラい。(大竹しのぶのこと好きすぎかよ、俺。)舞台ではいろんなことがもっと同時に起こっていい。

 人を寄せ集めて観音様にしたり、プロジェクタとスクリーンを舞台上にえっちらおっちら運んだり、お立ち台を使って状況を整理したり、いろいろと意欲的な演出がたくさんあったと思うので、その意欲を失わずにいてもらいたい。


ヲサガリ

 歌もの、かけすぎじゃないでしょうか。歌詞を聞かせたければ、一定の音量が必要で、その間、役者はまともにしゃべれないし、曲調で何らかの印象を植え付けたいだけなら、そもそも歌ものである必然性がない。

 居酒屋のシーンでユニコーンの『すばらしい日々』がかかってた。この選曲はまあいい。なぜなら、いまだに居酒屋でかかる曲だし、ユニコーン解散前のラストシングルでもある。(個人的に人生のトップ10に入るぐらい好きな曲でもある。)

 姉ちゃんの独白のシーンで、ジュディ・アンド・マリーがかかった。『そばかす』だったっけ。この選曲は謎。ジュディ・アンド・マリーの中期の曲。しかも、唯一のオリコン1位シングルにして、ミリオンセラー。姉ちゃんの心境とシンクロするようにも思えない。むしろ『ひとつだけ』のほうじゃね?

 ユニコーンとジュディマリがかかったから、芝居のテーマ的にも解散したバンドから選んでるのかなとも想像したけど、もしそうだとして、それが伝わるのかってこととやかましさを天秤にかけるのは妥当じゃないように思うし、実際にはそういうテーマ性もなかったのではないか。ユニコーン、再結成しとるしね。

 そもそも、冒頭は絶賛活動中のサカナクションだったりする。歌にシンクロして、「どーしてーえーえ」と叫ぶとこは確かに面白かった。そのあと、セリフをしゃべってる背景で、また「どーしてーえーえ」の部分に差しかかったときに、「俺なら絶対、また叫ばせる」と思ったら、ちゃんとまた「どーしてーえーえ」と叫んでたのもよかった。このぐらい効果的なら歌ものでいいんですよ。

 超激しいとか、優しげだとか、薄くかかってるだけでも曲調によって客に何らかの印象を持たせたり、『神田川』とか『森のくまさん』ぐらい誰でも知ってる曲をかけてベタにシーンを色付けしたり、タイトルや歌詞を知ってる人には、より意味のあるシーンに見せることができるとか、そういうことができるのが歌ものの良さだと思いますし、歌ものを生かした演出だと思います。

 ほかの団体より平均年齢が高そうなこともあって、演技に安定感はあるし、何より愛嬌があったと感じた。ただ、それゆえ、曲でセリフがかき消されてるのはいただけない。

 役者にとって、愛嬌ってすっげえ大きな武器だと思う。私は最近、ほとんど役者をやる機会がないけど、自分で書いた芝居に自分が出てたときには、あらゆる粗を愛嬌でごまかそうとしていた。

 脚本については、ラスト、踊りだしてからが不満。全部独白で片付けようとしてたけど、人って、他人がどう考えてるかなんて、わからないじゃない。だからこそコミュニケーションがあるんじゃん。だからこそ、芝居のなかの人間関係の変化が面白いんじゃん。笑いを取ってたとこはよしとしても、主人公までそれでいいのかしら。

 あと、ダンスは完全にクオリティ不足。ダンスに籠めた演出的な意図的に、絶対とちってはいかん。ダンスに集中してセリフをとちるほうがまだよかった。


後付け

 ゆるふわオフビートコント。こんなこと書いて大丈夫かなと一抹の不安を覚えないでもないが、完璧じゃないでしょうか。大好き。超面白かった。

 脚本と演出と役者が高め合ってると勝手に受け取った。

 演技の情報量が非常に多い。目線とか、体の動きって、舞台上では簡略化され、大げさにしてしまいがちだけど、ロスが少なくて、派手な味付けもしてない。だからパッと見は普通なんだけど、食ってみたら「うわ、なんかしらんけど、この料理、めっちゃおいしい」みたいな。「なんでこんなもんができあがるの?」「なんでこんなもんをつくったの?」「これ、最初からおいしくなると思ってつくってたの?」と次々と疑問が湧いてくる。

 同じセリフを繰り返すという点では広義の「天丼」なんだけど、日常的にあり得る繰り返しで、演技も日常の延長線上にあるから、ただの「天丼」じゃない。

 演目が始まって最初は「?」だったのが、どんどん、「あ、こいつら、これを面白いと捉えて、意識的にやってるに違いない。こわい」と思い始めた。確信したのは、京都タワーの魅力を語ってたエントリーナンバー1番が舞台袖にハケる瞬間。彼女、ハケる間際に、一瞬、笑いそうになって口を押さえてハケていく。「うわ、やっば、超やばい」と思ったね。だって、そんなん、そのままハケていくよりも、めっちゃ面白くなるに決まってるじゃん。「これ、適当にやってるように見えて、全部脚本どおり、演出どおりに完璧にやってるんではないか」と。

 声質もあるのかもしれないけど、あんだけ声を張ってないような演技なのに、ちゃんとセリフが聞こえてるとこもこわい。

 アドバイスをするとしたら、もっとエゴサーチしやすいユニット名にしたほうがいいんじゃないですか、と。そのぐらいです。

 あー、ええもん見たわ。


Cブロック
劇団なかゆび
 神田くんの声がでかかった。とてもいいことだと思う。
 舞台上で特別なことというか、目を引くようなことが起こっているように感じず、このまま何も起こらないんだろうなと見切りをつけて、途中で退席した。神田くんは途中退席が出たら喜ぶんじゃないかなとも思ったので。
 私は芝居を見るときは受け身でいたい。解釈することに頭を使いたくない。
 会場の外に出たら、熱中症か何かで倒れた人が救急車で搬送されようとしているところで、「ああ、劇的だな」と思った。
 劇的なものに出会うためには、必ずしも劇場や公演に足を運ぶ必要はないのだと改めて感じた。
 
劇団明日の鳥
 細かいけど、一番最初のシーンで、彼氏が彼女に「まだそのレポートやってんの?」みたいなセリフを言うけど、あの距離で、一瞬で「そのレポート」って判別できるレポートって、どんなレポートなんだろうと気になった。
 友人の「寝るのが好き」って設定、必要? 要らない情報じゃない? 深読みしすぎて、中盤、「寝るのが好き」ってのをセックスと解釈すべきなのかと思った。
 この演目も曲がかかってる時間が長い。ひとつのシーン、ずっと店内BGMでかかってたりする。かかり続ける必要はあるのか? 「この場面は喫茶店のシーンなんですよ」という情報を客に伝えられたら、あとはゆっくりフェードアウトしていけば、それで事足りるのでは。
 彼氏が浮気してるのかと思わせて、実は姉だったってシーンは、彼氏が「アネキ」という単語を発するまでに、たとえばもっとじっとり体を密着させたりして、緊張感を高めるなり、客をドキドキさせるなりすべき。緊張と緩和の落差を快と受け取る人は多いはず。私は「ふーん… 姉ちゃんね…」ってぐらいの反応しかできなかったけど、もっとうまくやれば「おいwww 姉ちゃんだったのかよwww びびったわwww」って客の反応を大きくできるはず。
 場面転換で暗くなるたびに、私は集中力が切れます。暗くしなくていいんじゃないかな。舞台装置を移動させなくても、小道具がなくても、この演目を成立させる自身が私にはある。そもそも、役者が大変そうだった。もっと楽していいと思う。
 「K大」(?)が、どのぐらい遠いのかがわからない。わからないから、危機感を覚える彼女に感情移入できない。
 友人がセクシーな服を着てる場面の選曲、はっきり覚えてないけど、「なんでこんな音選んだの?」って感じたのだけ覚えてる。
 傘に隠れてキスする場面はよかった。「んな、あほな」という面白さ。
 終盤で、喫茶店で改めてお互いの思いを告白する彼氏と彼女。なんで店のなか、二人突っ立ってんだろう。席があるんだし、座ってはどうか。
 姉ちゃんの恋人のくだりはまったく生きてない。友人の言葉が軽すぎる。正直、あれを本心でぺらぺらしゃべるなら、友人は悪趣味だとすら思う。通じないかもしれないけど、『午後は○○おもいッきりテレビ』の人生相談みたい。したり顔で、そんなことしゃべらないでほしい。俺は恋人を亡くしたことがないけど、俺の人生の重荷を一緒に負う覚悟もないやつにあんなこと言われたら絶交する。
 45分という制限時間のなかで、演技・演出・脚本の密度を上げれば、客に与える情報量はもっと多くすることができる。一方で、人が変わるほどの衝撃というのは、それなりに丁寧に書かなければ、私は納得しない。すべての登場人物に何らかの解決を与えるためには、役者も脚本、演出も貧弱だったように感じる。
 全体的に、セリフが書き言葉でしかない。私たちはあんなふうにしゃべるだろうか。しゃべらない。(あんなふうにしゃべる人間を否定するわけではないが。)明日の鳥に限ったことじゃないけど、脚本家の言葉の使い方が、まだ自分なりの使い方を会得していないと感じた。もっともっと書き散らすべき。初期衝動なんて年単位も継続しない。
 
劇団蒲団座
 「なぜその演目を上演するのか」という点において、メンバーが欠けたことによる偶然で、ほかの団体が持ち得ない必然性を持っていた。「いまの私たちにしかできない」という演目は、それだけで一定の強さがある。
 しかし、「メンバーが欠けた」という情報を、芝居が始まってるっぽい状態で、役者の口から語られるのは、うまいやり方ではないのではないか。私は前情報まったくなかったので「これ、本当なの? うそなの?」って悩みながら見ていた。私ならどうするか。いろいろ考えてみたけど、舞台上でパソコンを操作して、それをプロジェクターで写しながら、もっと「芝居が始まってない感」を出しながら、ツイッターの情報を見せるかな。
 ショートショートは面白かった。どうでもいいけど、ショートショートと言うわりには長かった。
 うん。ショートショートは面白かった。役者・脚本・演出のバランスがよかった。オチを放棄した感じは、団体の事情もあってすがすがしい感触だった。
 
劇団西一風
 唯一居眠りしてしまった。事故かと思うぐらい声が聞こえなかった。声が聞こえなかったところで繰り返しだから、ほとんど支障ないっちゃないんだが、その繰り返しに楽しみを見いだせなかった。
 馬のマスク、かぶりたければかぶっていいと思うよ。だけど、せめてもっと声が聞こえるようにしてほしい。抜きにくい釘の鉢もそうだけど、なんで声と表情のパワーを投げ捨てるようなことを平気でやっちゃうのか、私はちょっと理解しがたい。
 舞台装置はよかった。舞台装置がない演目も含めて、舞台装置がいいと思ったのは、唯一西一風だけだった。
 
劇団洗濯氣
 情報の整理の仕方が雑だなと感じる。場面転換して、いつ、どんな状況(時間、場所)になったのかが、わかりづらい。
 時間を示すセリフとして、「午前3時よ」っていう言葉が出てきたけど、「午前3時」って標準的な語彙ですかね。待ち合わせ時間を決めるなら「午前3時」という言葉は出てくるかもしれない。しかし、目を覚まして、ふらふら出ていこうとする人には、「午前」なんてつけないんじゃないかな。だって、言われたほうは、「3時」って言われただけでわかりそうなもんじゃん。
 一方で、「どうもどうも大家です」「どうもどうも次郎です」というセリフは思いっきりがよかった。わかりやすい。
 台本がどんなものか勝手に想像すると、そのままだと客に直接伝えられないト書きや設定が結構書いてあるんじゃないかなと思ったりする。勝手な想像に立脚したまま話を進めると、本来、客の想像に任せる意図を持っていた以上に、客の想像に任せる演目になっていたのではないか、と。いや、少なくとも私は、途中から頭がこんがらがってきて、大筋以外、理解することを諦めたのだけど。
 双眼鏡で何を見ているのか、少なくとも演技からはよくわからなかった。というか、本当に何かを見ているのかあやしい演技だった。覗き込み方にリアリティを感じなかった。
 終盤の長い独白はつらかった。ほかの演目でも同じようなことは感じたんだけど、基本的に私は独白で人間の心情って、大きくは動かないと思うんですよ。独白の前にすでに感情としてできあがっているものが、独白のなかで表面に表れるとかなら、納得できる。人って普段、理詰めで考えてから、その時々にふさわしい感情を選ぶ? 逆だよね。ある感情が湧き出てきて、「なんでこんなふうに思ったんだろう」って考えるよね。泣くときなんかも、「ぐっときた」とか「泣けてきた」とか言うでしょ。なんで泣いたのかの分析は、そのあとじゃないですか。
 そういう意味で、芝居の内容的に、もっと感情に寄せた脚本にならなきゃいけないんじゃないかなと思った。私としては、私が勝手に読み取った「人は人と関係して、初めて人たりえる」というテーマ自体は、嫌いじゃない。
 かみさまが登場する必要はまったくなかったな。かみさまを抜いて同じ印象を与えられるような作品をつくってみたらどうでしょう。神とか便利すぎる。


初日観劇レポーター 募集要項(終了しました)


京都学生演劇祭2017 参加作品を観劇し、舞台の模様を広く伝える”劇評/レビュー”を書いていただく方を募集します。

前年度までの「観劇レポーター」とは異なり各ブロック初日の公演のみを対象としたほか、1ブロックからご応募いただけるようになりました!

皆さまの自由なレビューと出会えることを楽しみにしています。


【初日観劇レポーターとは?】

・京都学生演劇祭2017各ブロックの初日公演を観劇し、レビューを書いていただきます。(1ブロックからご応募可能)

・いただいたレビューは開催期間中にホームページで公開いたします。

・該当のブロックについては無料で観劇いただけます。

条件1.​各ブロック初日公演を観劇できること (以下のうちいずれか)

8月22日(火)14:30 Aブロック・18:30 Bブロック

  23日(水)14:30 Cブロック・18:30 Dブロック

※複数ブロックおよび全ブロックのご応募もお待ちしております!

条件2.​観劇日の翌日までにレビューを提出できること

●応募先

メールの件名を「初日観劇レポーター 応募」とし、本文に

①お名前

②観劇日時(22日Aブロック・Bブロック/23日 Cブロック・Dブロックのうちいずれか)

③応募動機

をお書きの上

kstf2017@gmail.com までお送りください。

〆切 8月10日(木)

(受付終了いたしました。ご応募ありがとうございました。)